4月28(土)・29日(日、祝)はバザー出店します。「花のフェスタこうべ2012」です。総合運動公園です。「福祉のお店(バザー)」のコーナーです。
就労継続支援B型誕生日ありがとうのメンバー・スタッフ、法人のボランティアが力を合わせて、Goodsづくりに取り組んでいます。ここでもたくさん売れればいいのですが。
<byはせつかべ>
2012年4月10日火曜日
福島・宮城2泊3日(12) 石巻のチーム神戸を励ます
石巻へ向かいました。ここには「チーム神戸」が常駐して、震災支援を行っています。午後5時着と予定を知らせていました。実際は7時過ぎになりました。この晩は、ボランティアが30名も来ていて、できれば、夕食は済ませて着るようにとのことでした。
ここで聞いた話「すぐ北の湊小学校へ避難する途中、女川街道(国道398号)の歩道橋の上にいたので、津波を避けられた方がいた。すぐ横の電柱にしがみついた方も人も助かりました。その横を「助けて!」と言いながら流される人がいた。引き波で海へ。どうすることもできなかった」
石巻市港町のチーム神戸の拠点は、標高3m、海岸から1300M、福島第1原発から126.1km、ここは女川原発から16.4kmです。
「チーム神戸」は、ボランティアグループすたあと長田が災害地支援を行う際に、団体・個人・企業等の枠を越え、多くの市民がより効果的に被災地支援を行うために協働する、ユニット名称です。
播州作用町の災害支援でつながった人たちが、来られていました。
歯科医院の跡を使えるようにしています。整地までは住民の拠点となっています。
歯科医院の跡を使えるようにしています。整地までは住民の拠点となっています。
テレビでも幾度となく取り上げられている、活動です。住民自治へと移行させていく支援にとりくんでいます。
一晩泊りました。画像は移転直後の歯科医院内部の画像です。「チーム神戸ブログ」から引きました。ここで聞いた話「すぐ北の湊小学校へ避難する途中、女川街道(国道398号)の歩道橋の上にいたので、津波を避けられた方がいた。すぐ横の電柱にしがみついた方も人も助かりました。その横を「助けて!」と言いながら流される人がいた。引き波で海へ。どうすることもできなかった」
石巻市港町のチーム神戸の拠点は、標高3m、海岸から1300M、福島第1原発から126.1km、ここは女川原発から16.4kmです。
玉津むつみの家 「お茶の友」せんべい
「玉津むつみの家」(通所授産施設=運営「新緑福祉会」)の玉子煎餅「お茶の友せんべい」を、「就労継続支援B型誕生日ありがとう」の店頭で販ぐことになりました。¥200です。柚木所長が納めに来られました。柚木さんには、ちゅうおう障害者地域生活支援センター長時代にとてもお世話になっております。たくさん売れるといいですね。<byはせつかべ>
2012年4月5日木曜日
花見 王子公園へ
4月5日(木)は「就労継続支援B型誕生日ありがとう」の花見です。相談して王子公園に行くことにしました。11時車組と地下鉄・バス組に分かれて出発しました。駐車場はすでにほとんどいっぱいでした。弁当、シートを先に降ろし、バス組を待ちました。
桜は五分咲きです。こども連れの家族の多さに、今夜から3日間の夜桜の誘惑と闘いながら、弁当を食べる場所獲りに喘ぎました。
春が盛りになりました。
みんなで出かけるのも善し、動物と戯れるのも善し。
桜は五分咲きです。こども連れの家族の多さに、今夜から3日間の夜桜の誘惑と闘いながら、弁当を食べる場所獲りに喘ぎました。
春が盛りになりました。
みんなで出かけるのも善し、動物と戯れるのも善し。
福島・宮城2泊3日(11)再び虹の園
四時過ぎに、虹の園に戻りました。話題の石窯ピザを試食させて頂きました。「薪を焚いた石窯で焼く本格的なイタリアンピザ、エスプレッソコーヒー、そして、焼きたてのパンを食べていただきながら、地域の方々の憩いの場、交流の場としてご利用頂ければと思います」とHPに書かれています。「角田の新鮮野菜をふんだんに使用」とあります。
角田市の知識は全くありませんでした。
54年5月 宇宙開発事業団角田ロケット開発室スタート
2年7月 H2ロケット実物大模型が完成
18年 小惑星「イトカワ」の地名に「角田」と命名
ロケットに縁の深い街だったのですね。
下の写真奥の白シャツの方が焼いておられます。また「ぱぴハウス2号店」で被災して的確な避難指示引率された職員です。左理事長、中イタリポン担当の職員、右神戸から行った東北支援メンバー
2012年4月4日水曜日
福島・宮城2泊3日(10)ぱぴハウス2号店
臥牛三敬会の震災前の店「ぱぴハウス2号店」にも行きました。
グーグルとぱぴハウス2号店
〒989-2111 宮城県亘理郡山元町坂元浜谷地15−1
0223-38-1701
ちゃんと出てきます。ストリートビューは被災後の画像になっています。
これも伺った話です。理事長が、地震後すぐに「つつみ屋山下駅前店」からこの店へ、心配して巡られたとか。被害があまりなくて、虹の園へすぐに引き返されました。津波はその10分後に来ました。この店の利用者と職員はすぐ裏の高台へ避難しました。
一夜をここで過ごして、福島県へ出て、小学校へ移動しました。理事長こそ、津波に襲われているのではないかと心配していたそうです。双方とも無事にまみえることができました。
避難した高台とその高台から見た「ぱぴハウス2号店」の跡地です。隣はサーファーの店だったそうです。一夜をここで過ごす恐怖と孤独は計り知れません。
音楽家たちが、ステージと音響を整えて、いちでもコンサートができるようにしていたとか。
文化的な香りのするピザのお店だったのですね。
海抜6m、海岸から20m、津波は200mを侵しています。福島第1原発から53kmです。
<すべて写真は臥牛三敬会の提供です>
福島・宮城2泊3日(9)ぱぴハウスのテントの帰還
臥牛三敬会の理事長が「これは、今日来てよかった」と述懐されていました。
この写真(震災前のぱぴハウス2号店=臥牛三敬会提供)の分かどうかわかりませんが、店の柿色のロゴが描かれた「テント?」は、津波で行方不明になっていました。私たちが案内されて店の前で降りると、床面の真ん中に、このテントが畳んで置かれていました。拡げてみるとはっきりとロゴが読めます。誰が置かれたのか分かりません。この店を知る方が、どこかで見つけられて、わざわざ、ここまで持ってこられたと想像できます。
ほぼ1年後になって帰還したことになります。前回、同じように来訪者を案内した時には、何もなかったとのことです。「いや、見つかってよかった」
Youtubeで、この店を検索すると、
この写真(震災前のぱぴハウス2号店=臥牛三敬会提供)の分かどうかわかりませんが、店の柿色のロゴが描かれた「テント?」は、津波で行方不明になっていました。私たちが案内されて店の前で降りると、床面の真ん中に、このテントが畳んで置かれていました。拡げてみるとはっきりとロゴが読めます。誰が置かれたのか分かりません。この店を知る方が、どこかで見つけられて、わざわざ、ここまで持ってこられたと想像できます。
ほぼ1年後になって帰還したことになります。前回、同じように来訪者を案内した時には、何もなかったとのことです。「いや、見つかってよかった」
Youtubeで、この店を検索すると、
【震災前】相馬港(原釜)からJR坂元駅の車窓(2/2)[HD]
http://www.youtube.com/watch?v=M4EVHYNRW-A&feature=relmfu
福島県側から北へ走ります。2:19で県境通過します。
5:15から5:26まで「2号店」が写っています。
YOUTUBEを貼り付けていません。コピペしてご覧ください。
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