2013年4月3日水曜日

一番近い(5)柳

就労継続支援B型誕生日ありがとうのある街に柳筋があります。
 どうして花街に柳があるのか?
 李白の「昔在長安酔花柳」により、酒と女に係わる繁華街を「花柳」と呼ぶようになったとか。
 秀吉が応仁の乱で荒廃した京都を再興するにあたり、二条柳馬場に柳町の花街を公許しました(日本初の公許の花街)、正式名称は西新屋敷と呼びましたが、その急な移転騒動が九州島原の乱の直後であったため、それになぞられて島原と称されるようになりました。
 島原大門は、高麗門で、前には「出口の柳」が植えられ、「さらば垣」がめぐらされて今日も当時の趣を伝えています。
 そして江戸吉原は島原を模したので柳も植えられました。「見返り柳」です。

銀座が日本中に普及したのと同じで、花街も日本中にできました。
  幕末の時に外国人居留地が神戸に建設され居留地と兵庫の中間に位置する一帯に、外国人慰安所として遊郭が誘致されました。その後、明治初年に大阪~神戸間に鉄道が建設されるのを機に遊郭一帯に神戸ステーションと貨物ヤードが建設されることに。そのため、遊郭は旧湊川中流の東側に移転、これが「福原遊郭」となります。で、福原にも柳が植えられ、「柳筋」ができました。

 一応、解決しました。すっきりしました。
 


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