2013年3月27日水曜日

月刊「誕生日ありがとう運動のしおり」の第1面4月号

印刷日の当日に原稿をあげる編集者泣かせが続いています。UPしておきます。
お読みください。

       ほのかな胸のうち    



  故あってWi-hiを使いたくて、携帯をスマフォに換えました。付録に好きな音楽が聞けます。ランダムに流していると高田美和さんが「17才は一度だけ」と歌っています。この年の夏は姉の結婚を直前にして、父母兄らと家族五人で富士山に登りました。夏休み明けのHRで「この休みに旅をしたもの?」に手を挙げたのは自分ひとり。前に出て報告をさせられました。
YHが持たしてくれたおにぎりが五百円で驚き、ごみがいっぱいに気付き、母は酸素ボンベの世話になり、雲海を足下にして感動、須走は一歩で十米も降ることなどを述べました。
震災後、「きこえとことばの教室」で教える同級生がよく覚えてくれていることを知りました。「富士山へ上る道は河口湖、富士宮、御殿場といっぱいある」と力説したそうな。その冬の受験生は、炬燵に入って分厚い羽仁五郎の『都市の論理』を読みながら安田講堂の陥落を見て過ごしました。
この年末は『ヨイトマケの唄』を紅白で聞き、年は開けました。まちづくりの失敗の様を見続ける団塊の世代は東北支援で四月の「いちいちバザール」を神戸元町通商店街の神戸市立まちづくり会館前で出店に駆り出されます。二年目の3・11は南京町で宮城岩手の授産品を売りました。年度末のいちいちバザール報告会で社協の担当者が「継続の凄さ」を強調しておられます。
「細く長く」は運動のモットーです。昭和四十年発足なので、2015年の連休は五十周年となります。「就労継続支援B型誕生日ありがとう」のみんなと、運動の関係者を招いてささやかな祝いの集いを企画します。
国土交通省の神戸空港バリアフリー教室の手伝いをしました。書類の「障がい者」の単語を見てこの「用語改訂」啓発運動の実質的勝利を実感しました。神戸大学の保健学部の先生が来られました。PCの障がい者への支援プログラム作成にあたってモニターを探しておられます。その際、精神障害学の黒丸正四郎先生に先年とてもお世話になったことを伝えました。人に対する見方を受け継ぎました。「みんな丸」です。欠けた人などいないのです。障害は医学で使われても、実社会の人に付けてはいけないことの理論的支柱です。
 わが就Bのメンバーにやりたいことを問いました。ほとんどが「パソコン」と答えてきました。これに驚いています。「しょうがいしゃ」と入力したら新しいバージョンから、変換候補に「障がい者」が標準装備されています。
昼休みに「YOUTUBE」を自由に使えることにしています。常連ダウン症のメンバーは二曲を毎日厳選して聞いています。今日は「上を向いて歩こう・昔の名前で出ています」です。彼の関与は曲名と最大化をクリックすることです。曲名は家族の手を借りて紙に書き写してきます。字を絵として捉える彼の書写はアートです。いずれ発表したく集字として毎日記録しています。今日の『蘭亭序』になるかもしれないのです。
多くの動きをしているみんなが、同じ曲に反応する様は、音楽の素晴らしさを痛感します。茉菜佳奈の『いのちの唄』やキロロの『生きてこそ』などは、この運動の趣旨を正しく早く、感覚として伝えます。啓発に音楽が果たす場面も今後加えていきたいものです
ひばりの曲『みだれ髪』の塩屋の岬は去年の三月、なこそ授産所を訪ねる際に寄りました。岬から北の海浜を望めば「原発」が霞んで見えます。都市の論理ではすでに市民が実権を手にしていたのに、現実はデモクラシーすら危機に瀕しています。日本の世紀といわれた二十一世紀、夢は夢のままであることを知りました。
『いいじゃないの幸せならば』と開き直りもしました。『今は幸せかい』と問いもしました。あれやこれやと順次流れていきます。あの積み上げたごみを、みんなして降ろさないと世界遺産などにはなってはいけません。
  谷のりんどう山の百合・・・ゆれるほのかな胸のうち
      十七才は一度だけ  (川井ちどり作詞・高田美和歌)

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