2012年4月12日木曜日

福島・宮城2泊3日(15)再び仙台空港~その1

仙台発 ANA17:35 B767-300 で、伊丹まで帰ります。
4時前には空港に着いていました。待合室の椅子に座り、この2泊3日を振り返りました。

就労継続支援B型誕生日ありがとうスタッフの「なぜ、いま東北へ」と投げかけられながらの旅でした。私たちは阪神淡路大震災を経験しています。その犠牲の多さと倒壊した家屋の惨状はよく承知しています。ここへ来ての感慨ですが、凡人には、津波の猛威は現地に立つことの意味は大きいと感じます。この日早朝に見た「女川」の景色が忘れられません。

飛行機に乗るまでに時間があるので、ネットに繋ぎ、検証してみました。
(13)で、訪ねた展望台は正式には「崎山展望公園」とわかりました。
この写真は「女川町の観光」のサイトから引きました。私も現場でこの看板は見ていました。
なんと申しましょうか?って啓発メッセージです。右に見える港の防波堤は津波により、壊されています。
女川湾は水深が深く36mもあります。


以下ネットの情報です。
①第二次世界大戦中には、東北地方太平洋岸の防空・対潜任務のため、横須賀鎮守府隷下の「女川防備隊」が設置され、艦艇が配置された。
第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日には連合国のイギリス海軍機動部隊所属機による空襲があり、大日本帝国海軍艦艇7隻(海防艦2隻、掃海艇1隻、駆潜艇1隻、特設艦船2隻、小型タンカー1隻)が撃沈された

② イギリス側の損害は空母「フォーミダブル」に所属する戦闘機F4U コルセアおよび戦闘機スーパーマリン・シーファイアの各1機のみで、撃墜されて湾内と隣接する山地に墜落した。このうち、F4Uの操縦士であったロバート・グレイ大尉は、第二次世界大戦最後のカナダ人戦死者であったため、崎山展望台に慰霊碑がある。

慰霊碑は確認していません。ネットでは、倒れた碑の写真があります。

③ ワカメの養殖では日本における発祥地。
④ 女川町域と共に南三陸金華山国定公園に属する地域。
⑤1980年(昭和55年)7月8日:女川原子力発電所、着工。
1984年(昭和59年)6月1日:女川原子力発電所、運転開始。

昭和20年8月6日は広島、9日が長崎に原爆が落とされました。同じ9日に女川湾では、連合国艦載機による日本海軍艦船に攻撃がなされたことに驚きます。「女川防備隊」7隻150余名の戦死者が出ています。カナダ兵までも。女川町の人たちは、艦船と艦載機の死闘を見たのでしょうか?また同日、むつ市・八戸市・釜石市も空襲されています。
原爆を落とす日までも、東北沿岸を空襲する、連合国の戦い方に疑問を持ちます。

女川町は国家プロジェクトに振り回された感があります。








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