2013年1月9日水曜日

集字(6)川端康成の集字

百科事典から

ある人の書跡や碑帖または古版本などから必要な字を双鉤(そうこう)などの方法で原跡のまま集め,文章や語句をそれで構成すること(双鉤塡墨(そうこうてんぼく))。古来,王羲之の書跡を集め,唐太宗の文を石に刻した《集王聖教序記》は集字碑の代表として有名である。碑のほかにも,名家の墨跡を集字して,多くの題字や名言佳句の対聯(集聯という)などが作られた。近ごろの日本の例では,川端康成の遺稿中のペン字を集字拡大して,万葉歌碑を建てたものがある。

桧原神社という小さいけれど由緒ある神社があり、近くには静かな井寺池があります。池の堤には背の低い石碑があって、川端が選んだ倭建命(やまとたけるのみこと)の歌、万葉集ではなく古事記に書いてある歌が彫られています。
 「大和は国のまほろば たたなづく 青かき山ごもれる 大和し美し」この歌碑の文字は川端の毛筆の書ではなく、ノーベル賞受賞記念講演『美しい日本の私 その序説』の原稿のペン字をもとに彫られたものです。

川端の歌碑からあまり離れていないところに東山の書の歌碑があります。こちらも井寺池から大和盆地が見られる場所です。歌は天智天皇の恋争いの歌です。
「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 
神代より かくにあるらし 
古昔(いにしえ)も 然にあれこそ
うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき」

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